
こんにちは、中央区選出の千葉市議会議員、わたなべただひろです。
皆様に選んでいただき,令和5年5月より任期がはじまりました。
皆様のご理解やご支援、本当にありがとうございます。千葉市議会初の車椅子議員ということで、千葉テレビ、千葉日報、朝日新聞などのメディアでも紹介されました。
所属委員会は保健消防委員会・広報委員会となり、福祉事業所への支援、新病院建設、防災ヘリの更新などの審議に関わり、市民の福祉医療向上、市の予算の有効活用のため、ご意見をお伝えしました。
皆さまからの声が政治を動かす原動力です。
今後とも一層のご指導を宜しくお願い致します。
わたなべただひろの活動
わたなべただひろの実績
わたなべただひろの議会での提案のうち、実現したことの一部を紹介します。
①幕張ビーチ花火フェスタの砂浜への車椅子席設置提案が実現

課題と感じていたこと
幕張ビーチ花火フェスタは砂浜から花火が見られることが自慢の花火大会です。しかしながら、10年ほど前に初めて行った際、車椅子席がないことを知り、残念な思いをしました。せっかく席を買ったのに砂浜の後ろで見ないといけないという声も聞きました。しかし、車椅子では砂にタイヤが埋もれるので、そこをクリアする必要があります。
提案したこと
令和5年第2回定例会で、砂浜にマットを敷き、車椅子の方、高齢者の方、ベビーカーの乗ったお子様も一緒に皆で同じ砂浜の上で同じ花火を楽しめる花火大会を実施すれば、千葉市の魅力をさらに高められると訴えました。
実現したこと
令和5年に実証実験が実施され、令和6年8月の幕張ビーチ花火フェスタにおいて、砂浜の一部にマットが敷かれ、車椅子席が100席設置されました。全席完売し、車椅子席を御利用された方を対象に実施したアンケートでは、全員から「来年度も砂浜での観覧を希望する」との回答を頂きました。
②災害時の重度障害者の福祉避難所への直接避難体制が進展

課題と感じていたこと
これまで、災害時において、重度障害者も一般の避難所に避難した後で、数日後に設備の整った福祉避難所が開設され次第移動することになっていました。しかしながら、過去の災害において、障害者が一般避難所で過ごすことが難しく、倒壊しかけた寒い自宅で過ごす例もありました。
提案したこと
私は、令和5年、災害時に障害者が一般の避難所に向かうのではなく、直接福祉避難所に避難できる体制作りを提案しました。
実現したこと
その結果、電源が常時必要な人工呼吸器を使用されている方の一部の方について直接避難の体制が作られました。
③障害児の通学付き添い実態調査が実現

課題と感じていたこと
私は、障害のある子供とそうでない子供が一緒に並ぶことは、それぞれ想像力を育み、創造性のある社会を実現できると考えております。
市民の方より、障害者の普通学校への通学について、家族が1日中付き添うケースがあると聞きました。私も子供の頃、そのようなご家族がいらっしゃいました。
保護者の方々も、当然、仕事や家事があったり、ほかの兄弟姉妹のお世話があったりということがあるわけであります。できれば、保護者の付添いがないほうがいいはずです。
提案したこと
令和5年、インクルーシブ教育の視点から、障害児の公立小中学校への通学や校内での支援のニーズを把握するため、障害のある児童生徒の通学保護者が付添っている例がどれくらいあるかの調査を求めました。
実現したこと
その結果、通学の部分についての実態調査が教育委員会によって実施されました。
わたなべただひろの議会での質問
NEW!千葉市議会・令和7年第1回定例会 一般質問
令和7年2月25日(本会議 一般質問)
質問項目
1 特別自治市について
2 障害者の社会参加について
3 バリアフリー化の状況について
(1)地区別バリアフリー基本構想の進捗状況について
(2)中央コミュニティセンター再整備におけるユニバーサルデザインについて
4 幕張ビーチ花火フェスタについて
5 千葉市の魅力向上について
(1)ライドシェアについて
(2)公園での官民連携の取組について
(3)ユニバーサルツーリズムについて
千葉市議会・令和6年第2回定例会 一般質問
令和6年6月19日(本会議 一般質問)
質問項目
1 指定管理者による合理的配慮について
2 地域公共交通について
3 競輪事業のPRについて
4 公共施設の多目的トイレの整備予定について
5 幕張ビーチ花火フェスタについて
千葉市議会・令和6年第1回定例会 一般質問
令和6年3月13日(本会議 一般質問)
質問項目
1 直接避難の見通しについて
2 千葉市立養護学校・第二養護学校について
3 幕張ビーチ花火フェスタについて
4 生涯現役応援センターについて
千葉市議会・令和5年第4回定例会 一般質問
令和5年12月13日(本会議 一般質問)
質問項目
1 インクルーシブ教育・保育について
2 災害時の重度障害者の避難について
(1)非常用電源確保について
(2)福祉避難所への直接避難について
3 障害福祉サービスの独自加算について
4 ちばし地域づくり大学校について
千葉市議会・令和5年第3回定例会 一般質問
令和5年9月28日(本会議 一般質問)
質問項目
1 幕張ビーチ花火フェスタについて
2 インクルーシブ教育について
3 公共施設の多目的トイレについて
4 競輪事業・TIPSTAR DOME CHIBAについて
5 姉妹・友好都市提携について
6 千葉市のマスコットキャラクターについて
千葉市議会・令和5年第2回定例会 一般質問
令和5年6月20日(本会議 一般質問)
質問項目
1 介護人材確保について
2 千葉市重度障害者等就労支援特別事業について
3 中央区のバリアフリー状況について
4 X Games Chibaについて
5 幕張ビーチ花火フェスタについて
わたなべただひろの「身を切る改革」
日本維新の会の特別党員として、議員報酬削減の意志を示すため、議員報酬の一部を公益団体に寄付しております。
※千葉市内への寄付は公職選挙法で禁じられております。
※各団体は、わたなべただひろが一方的に応援したいと思った団体であり、応援要請も支援も受けてはおりません。誤解ないよう明記いたします。
〇令和5年分
日本筋ジストロフィー協会:830,000円
https://www.jmda.or.jp
〇令和6年分
能登半島地震に係る災害義援金:103.180円
被災障害者支援 ゆめ風基金:500,000円
https://yumekazek.com/
日本初のフードバンク セカンドハーベスト・ジャパン:500,000円
https://2hj.org/
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会:105.000円
http://www.sukuukai.jp/
わたなべただひろ略歴
1987年 ダイエーに勤める父と保育士の母との間に生まれる、
出生後に筋ジストロフィーと診断。徐々に歩行が困難になる。
1999年 千葉市立打瀬小学校卒業
2002年 千葉市立打瀬中学校卒業
2005年 千葉県立幕張総合高校卒業
2009年 早稲田大学社会科学部卒業 車椅子で単独通学
2011年 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了
2012年 NPO法人ユニバーサル・アクセス・デザイニング設立。障害児進学相談、バリアフリー調査。
2013年 社会福祉士取得
2014年 アクセスデザイニング訪問介護事業所を設立(障害福祉サービス)
尊敬していた母を亡くす
2016年 パラスポーツを応援する企画を行う「OPENちば」を有志で結成
パラスポーツ体験会やカフェイベント、観戦ツアー等を実施
2018年 NPO法人主催で「誰でもビーチ」を実施
2019年 千葉市議会議員選挙に立候補するが落選 (2,155票)
五輪パラリンピックのボランティア登録
2023年 千葉市議会議員選挙に初当選 (3,786票)
わたなべただひろの社会活動
〇訪問介護事業所経営
アクセスデザイニング訪問介護事業所を経営。障害のある方に外出支援や居宅介護などのサービスを提供
〇「誰でもビーチⓇ」を実施
特殊なマット(モビマット)を敷き、通常であれば車椅子やベビーカー等で入りにくい砂浜を誰もが楽しめる空間にする活動を実施
〇海外を個人視察
アメリカ、フランス、デンマーク、台湾など個人的にバリアフリー視察
〇メディア掲載・出演
●早稲田学報 (2018年8月)
●選挙取材(NHK・首都圏ネットワーク、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞) (2019年4月)
●当選時報道(千葉日報、毎日新聞、東京新聞、朝日新聞、共同通信、千葉テレビ) (2023年4月・5月)
●毎日新聞「五輪パラリンピックの来る街で」(2019年10月)
●朝日新聞「障害者の議員、なぜ増えないのか 当選への壁は「特別視」」(2021年11月)
●ABEMA Prime「障害がある人はどう選挙に参加?」に出演 (2022年1月)
●千葉テレビ「特集 誰もが住みやすい街へ 花火大会で砂浜に車いす席」 (2023年8月)、「千葉市民花火大会 砂浜に車いす用の観覧席設置」 (2024年5月)
他
〇講師
●東京福祉専門学校ゲストスピーカー (2015年、2016年)
●DET(障害平等研修)ファシリテーター(2018年10月~2022年3月)
●ケアカフェいちかわ (2020年1月)
●東京都ガイドヘルパー講座講師 (2020年10月~)
●文京学院大学福祉ビジネス概論 ゲストスピーカー (2022年7月)
他
わたなべただひろの歩み

わたなべただひろの歩み

わたなべただひろ の活動

わたしの原動力
現在、介助を中心的に担ってくれているのはヘルパーさんで、一人暮らしをしています。しかし、私も数年前まで実家で父と母の介護を受けて生活していました。父は朝から夜まで仕事をしており、母は家で家事をしてくれていましたが、その母も身体障害があり、体の自由がききませんでした。今考えると、生活を続けられていたことが不思議なくらいです。
家族介護を受けていた毎日
朝、出勤前の父に起こしてもらい、朝食を食べ、トイレに座らせてもらい、着替えをさせてもらうことから1日が始まりました。日中は母が、私が学校などに行くまで、そして帰ってきてから、身のまわりの世話と料理などの家事を全てしてくれていました。
父は帰宅後休む暇もなく、入浴の介助をしてくれていました。夜間も寝返りの介助が必要なのですが、私から呼ばれるたびに両親が起きて、手伝ってくれていました。
家族介護の限界
当時はその生活が当たり前で、私も両親も辛さよりも家族で毎日を過ごせる楽しさのほうが上回っていました。週末には買い物に行き、旅行などにも出掛け、充実した生活でした。
ただ、自分自身も無理をしていましたし、何よりも両親の負担は相当なものであったと思います。20代半ばになったとき、両親の体力が落ちてきていることを感じ始めました。
自分が動くことによって変化がおきた
2012年にNPO法人ユニバーサル・アクセス・デザイニングを設立しました。ですが、大学・大学院時代は政治学を学んでおり、NPOや市民活動とは縁のない生活をしていました。NPOや市民活動にかかわるようになったきっかけは、学生時代の経験からでした。
大学では介助が必要な車椅子学生へのサポートは十分ではありませんでした。諦めていましたが、必要に迫られることがあり、他の大学の例も知るうちに、大学に話してみようと思いました。話し合いを続けるうちに大学側が新しい制度を作ってくれました。
それまで、無力だから学校など環境を変えることは難しいと思って諦めていました。自分に力があるか関係なく、解決したいことに誠実に向き合い話し合うことで、少しだけ環境を変えられるかもしれないと思えるようになりました。
状況は変えられる
開業以来、小さな事業所ではありますが、少しずつ利用者さんとスタッフが増えていき、スタッフのおかげで介護が受けられずに困っている人がいる状況に少しだけ取り組むことができています。
状況を変えられないと諦めている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、NPO法人や訪問介護事業所の経験から、大きく状況を変えられなくても、少しずつ変えることは可能だと確信しています。
NPO法人や訪問介護事業所は今後も続けていきますが、私個人や1団体ができることは限られています。皆様の力をお借りし、小さな行動を大きな変化につなげていけたらと思っております。


後悔の念
非常に残念だったのは、母に事業所開設を見届けてもらうことができなかったことです。事業所準備期間中に、内臓の疾患が見つかり在宅での約4ヶ月の療養の末、亡くなってしまったのです。それはとても辛い経験でした。
もし、もっと早くヘルパーさんを頼んでいたら、母も自分の時間を持つことができ、好きなことをしてもらえていたのではないかと思います。その思いが事業所を運営するモチベーションになっています。
家族の絆を守るために
家族の困難なことは家族だけで解決しなければならないという意識が強いように思います。両親や祖父母の兄弟姉妹までを含めた家族で助け合える時代であれば、当然の意識であったと思います。
ですが、核家族化が進む中で、その小さな「家族」で解決できない問題も少なくないはずです。制度を整えなければその家族でさえもこの国から無くなってしまうのではという危機感も持っています。
私自身が制度に頼らず家族に支えられてきたからこそ、より強く思います。
足元を照らしてくれる存在
母が亡くなった際、友人である僧侶が「慈燈妙照大姉(じとうみょうしょうだいし)」という戒名をつけてくれました。
「渡邊さん家族にとって足元を照らしてくれる存在であって、今後もそんな存在であり続けるだろうという意味でつけました。」と説明してくれました。私自身の家族の経験が、私の進むべき道を照らしてくれ、ここまでに至りました。
今後はより良い千葉市を作るために行動していきたい。その際、私の足元を照らす存在として、多くの方に支えていただけたら嬉しいです。
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